かなり時間が経ってしまいました。。。。
環境が変ったのと、父の事を書くのにはかなりの精神的パワーが必要で意外と書く元気がありませんでした。
といっても、たぶん、ココが最初のヤマ場かな。
一番最初のハードル。
癌を発見したことよりも、そこから変化するのが大きい影響を与えてたと思います。
しばらく、離れたかったのかな。。。
それでも、気づけば来月で1年が経ちます。
辛くても
忘れないように・・・・・
*********************************************
8月
癌が発覚して、なす術もなく泣き続けた日々。
毎日泣いて、家の中が今までに無くどんよりした空気。
「
知らない」ということが、これほどまでに道を閉ざすのかというのが痛いほど分かりました。
癌→肝臓癌→死の図式が頭の中に常にあり、限られた時間は2ヶ月。
早く、なんとかして治療法を見つけなきゃと
焦り、その焦りが更に不安に追い込む日々。
それでも父は元気はないが大人しい。
プライドの高い父だけに生きる希望を諦めたのかと思うほど。
毎日、仕事に出て家から離れるのが怖かった。
色んな人に相談した。
そこで一番言われたことが
「
本人と家族で方向性を決めること」
最初は分からなかった。
社会人になってからは、家を空けることもあったり、家族間での本気での会話がなかったから。
それでも、腹を割って、家族が一つになって立ち向かわなきゃいけない。と後になって知ったけども・・・・
私の頭の中には昔、父に言われた言葉が残っていて、父の人間性がわかっているだけに素直になることはないだろう。
母と色んな本を借りてきて、色んな人に話しを聞いて・・・
それでも、中々行動には移せず、そんな歯がゆい日々を過ごしてる中・・・・
妹にこっそり相談して(母は取り乱してばかり&父はプライドが高いがゆえ、知られたくないのかも・・・という考えで)当時、東京にて、弁護士の先生(父の友人)の元で働いていたため、金沢で出来なくても、東京で何かないか・・・・先生に相談して。と、頼みました。
それから数日後、妹から連絡があり・・・・
「先生に相談すると、時間が無いのだからすぐ行動に移さないと!!!!!と」と言ってくださり、父の人間性も理解した上で、隠してても仕方ないから・・・・
と、飛んで来てくれて、
8月23日東京の気功の先生を紹介して頂き、金沢へ来てくださいました。
その時の父の様子は・・・・・
と、いうよりも、病院から余命宣告をされ帰ってきてから一気に見た目も悪くなったようで、腹水と黄疸が激しく出ており、動きもゆったり。
先生が来てくださり、先生に渡された本も安保先生の本。
西洋医学も東洋医学も両方知っておいた方がいいよ。とのことでした。
常に「
自分で良いと思ったことをやればいい」と言うことをおっしゃっていました。
元々、父の性格上、気功とか目に見えないモノは信じない人ですが、素直に言うことを聞いて、「良くなるのであればなんでも」と言う言葉を父から聞いたときはビックリしました。
先生からはマッサージの仕方と、日本に数台しかないと言われる温熱治療のひとつ、マイクロ波の器械をお借りして、今後、この治療でいくことになりました。
父の顔色が凄く良くなっているのが目に見えて分かり、先生も気功をしている時に、父の身体の気の通りやすさに感激されてました。
家族の雰囲気も良くなり、これからだね。
過去記事1過去記事2
と言っていた矢先・・・・
8月25日早朝に電話が。。。。
なんだか、嫌な予感がしました。
祖父(父の実父)が亡くなりました。
過去記事3