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”自分”のstyle ”様々な人”のstyleを通して繋がっていく場でありたい。
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おっとビックリ!!!!!

2010年。


新年明けてから4ヶ月も放置してた!!!!!


こんなに長く放置したの初めてだ!!!!!!



エキサイトブログ、ごめんなさい。笑



MIXI,アメブロ(バレエブログnobuのブログ)は書いてたんだけどね。。。。。




あまりにも放置してたので、ちょっと整頓してみます。




◇1月◇

スキーシーズンだったので、お店の方が忙しかったですね。。。。
コチラ→技術選石川大会のため、久しぶりにスキーしました。
15年ぶりぐらい???


そして、合同誕生日067.gif

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我が一族は1月生まれと10月生まれに分けられ、1月生まれの合同誕生日会を。
去年はとてもじゃないけど、そんなお祝いムードなんて無かったね。
母はついに父の年を超えました。


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そして、私の誕生日Partyも。
普通にご飯食べに行ってただけだったのに・・・・
いきなりのサプライズで、みんな私の顔になってた。笑


仕事の方は新体制になってハードスケジュールに048.gif

そして、ずーっと体調悪くノドやられてました。。。。。。




◇2月◇
1月の体調崩れたまま突入し、妹、大会のため不在だったりしてバレエの仕事とお店の仕事と。。。。


結局、去年と状況かわってない!?って感じでしたが・・・・


そんな中、母、入院しました↓


原因は分かりませんでしたが、結局のところ、疲れが溜まったのだろうと。。。
父が居なくなって、母も居なくなることを考えてしまってとっても怖くなりました。
これ以上、失いたくありません。


そして、2月の終わり、北海道にて冬季国体、妹出場してました。
「お土産買ってくるね~♪」とるんるん気分で行きました。
去年は国体予選すらエントリーするつもりなかったのに、今年は国体が北海道だから?
やる気満々で向かいました。

が、、、、、



ケガして帰ってきました。008.gif


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こっちは超心配していたのに、本人は初体験した♪(自衛隊の救護車に乗った)とるんるん。
でも、全く足は動かず、歩けず・・・・イモムシみたいに這いつくばって行動してました。笑



半月板ロッキングでした。


帰ってきてすぐ手術。


前十字靭帯も切れてました。





◇3月◇

手術して3日で退院して、光線治療とリハビリで1週間も経たないうちにまたスキー場へ。

もう、必死でした。
だって、成績残すため(もちろん、店の仕事をするためもありまうが)に東京での生活に区切りをつけ金沢に戻ってきたのに・・・
ケガするなんて。。。

金沢に戻ってきたことを無駄にしたくない。石川県の代表として、全日本に出場できるかどうかも危うく・・・・それでも、望みを持って、前しか見てない状況でした。コチラ

日に日に回復が見え、人間の不思議を感じました。笑


そして・・・・・

コチラ
石川県勢で初の決勝進出を果たしました。
ケガして、靭帯切れたままの人間が今まで出したことのない好成績を収めました。笑


おかしいですね。笑



その後、新入生の販売があり、・・・・・


また、母入院しました。


今回も同じような感じで。


そして、私は東京→名古屋と行って、
仕事で仙台へ。。。。。



もぉ、バッタバタですね。。。。。
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# by wb-style | 2010-04-25 00:28 | 何気ないこと

2010 謹賀新年☆

ぎゃー!!!!!!12月、一回もこっちに記事書いてなかった008.gif



2010年 

明けましておめでとうございます。


2年ぶりに堂々と新年のご挨拶が出来ます056.gif



2009年、怒涛の1年でしたがなんとか無事(?)過ごすことが出来ました。


色々想うことはあるけども・・・・・



2010年はどんな年になるんでしょうか。。。。




良い年になりますように・・・・・




今年も宜しくお願い致します。


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2009年、除夜の鐘つき。

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いつもソバに父が居てくれたのに、2008年の鐘つきから居ません。
去年は大和が帰国してたけど、今年は大和は帰ってこず。
その代り、潤子の彼氏が金沢に居ました。
潤子は疲れ果て寝てたけど、放って置いて連れ出しました。笑

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しかも、珍しく雪も積もって超寒い。。。。
いつもなら沢山人が並んで108回すぐ終わるのに、今年に限って人少なかった。。。。。
お陰でたくさん突きました。

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# by wb-style | 2010-01-01 23:55 | イベント

ここ最近・・・

本業の方が忙しくなってます。。。。


なんだかんだと舞台も昨日で2つ終え、残るは12月のみ。



去年のあの時から、舞台の世界から去ろうかとも思った。
とてもじゃないけど、光のあたる世界にいる心境じゃなく・・・・・・

身体を動かすことすら重く感じ、

身体を動かす度に「生きている」実感を感じ嫌気も感じたこともあります。

でも、仕事をする上で動かさなきゃいけないし。苦笑


精神状態と身体とのバランスがちぐはぐで正直、どうしていいかわかりませんでした。。。。。



いっそのこと、お店の仕事だけに専念しようか・・・・


むしろ、専念したい気分でした。





本番当日に倒れて、観に来てくれずそのまま次の日に亡くなった。

元々、私がこの仕事をするにあたって、賛成していたわけでもなく「好きなら勝手にやりなさい」程度だったと思う。
そして、舞台も余命宣告をされてた年に初めて観に来た1回のみ。


こんなタイミングで倒れないでよ。


せめて、舞台観てから倒れてよ。



そんな事実を後にして、父の望んだ道とは違う道を歩んでいる私に「やめなさい」と言っているのかとも思った。





正直、どうしたらいいかわからなくなり、今まで「辞めたい」と思ったこと無かったのに初めて
「辞めたい」と思った。






それでも、いろんな機会やタイミング、チャンス?があり、指導している子供達の無邪気な笑顔、成長に助けられ、少しずつ精神状態と身体のバランスが取れてきて1年経ってます。


残る舞台。



私はやっぱりこの世界が好きみたい。






Kanazawa city ballet blog
Toyama city ballet blog
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# by wb-style | 2009-11-23 13:04 | バレエ

2009年11月10日

父の命日です。


先日、7日(土)に一周忌を終えました。
仕事の都合やご参列して頂く方の都合を考え、平日よりも週末かと。

そして、例年通りいくと本当は私の舞台と重なるところ・・・・・
が、今年は厚生年金が売却等により予約が取れるかどうかとゴタゴタし、時期が上手いことズレてくれたので、忙しくなる一歩手前。

そんな最中で一年が経ちました。


去年の今頃(夜)は・・・・・泣き疲れて、色んなところに電話して、パパの隣で寝る準備をしてるとこかな。


「遺すこと記事」を書いててもまだたどり着けてないまま1年経っちゃった。

順番は違うけど、「遺すこと」の最終。

2008年11月9日

その前日あたりから急に寒くなって、冬も間近かなと感じる日。

その日は私の1年の集大成となる舞台の日で、生徒達を指導して作品を披露する&自分も踊る日。そして、野球の1年生大会の決勝戦。

私は朝から楽屋入りのため、寒い朝の中準備し、洗面台で父と「行って来ます」と会話したのを覚えてます。当然、観に来るのを前提にその前に「1年生大会を観にいく」と言うから、「寒いから暖かいカッコしてね!」って注意して。

そして、私は楽屋入りし、ゲネプロ(リハーサル)をしていよいよ本番がスタートとなる手前、
開場してお客さんが入ってくる時間に、楽屋に祖母が一人で現れました。

一人なのに疑問を感じ、席を父と母と隣にしてあるから、「一緒でしょ?」って聞くと祖母は
「パパ、ちょっとお腹痛くなって・・・・」と、

「お腹が痛くなって」というフレーズに凄く嫌な予感がして、「まさか!?」と思いました。
朝は普通だったから大丈夫だろう。という思いと、2008年の1月に起きた出来事と重なって・・・

幕が上がる前でしたが、すぐ母に電話。
でも、なかなか繋がらない。
家に電話しても誰もでない。

ってことは、もしかして病院!?

と思い、また母に電話しても繋がらない。

現状が分からなくなり、大したことなくても不安があり、お寺に電話すると叔母が出て「病院に行った」と。少し弱気な声で、それでも本番前の私を気遣ってくれてる様子で「頑張ってね。」と。

そこで私はやっぱり病院に行ったんだ。と思い、もう一度母へ電話。

最初は隠そうとしていたが、現状を問いただすと再び、「肝臓の破裂」で処置室に入ってるところ。
詳しく問いただすとだんだん母が崩れていき、「どうしたらいい?」と。

すぐにカテーテルの処置が必要で放置しておくと、数時間持つかどうか。
でも、父は案の定、カテーテルを拒んでる。

母はパニックになって選択できない状況。1度経験してるだけに辛さもわかる。

そして、今回は2回目なだけに処置しても助からないかもしれない。最悪、術中にも・・・・って。



私も本番前だけど、舞台を蹴って行くわけにはいかないし、何もしてあげれない。

それでも、少ない望みにかけるしかない。

「今、そっちに行けないからカテーテル処置してもらって!!!サインして!!!」と頼み、それから電話を切りました。



そして、舞台の幕が上がりスタート。


合間に妹からも電話があり、彼女は私が舞台ということを知らずに「迎えに来て」と。

「ふざけるな」と応えたが、妹が呼ばれるということは前回よりも危ないということだろうと感じました。


もし踊ってる最中に・・・・・・と最悪の事を考えることも。


それでも、子供達に知られちゃいけないし、私も踊らなきゃいけないから。
と集中したり、ちょっと集中力が切れたり・・・・

もし・・・・と最悪の事になったら、踊ってる最中にパパのことだから現れてくれるだろう。と思ったり。笑



そんな心境でなんとか踊りきり、自分の出番終わって病院に駆けつけても良かったのかもしれないけど、幕が降りるまでが舞台。


子どもたちの作品も終わり、幕が降りたと同時に母からメール「手術終わったよ」

観に来てくれた友達と挨拶し、後片付けを程ほどに病院に駆けつけました。



妹が東京から向かってたが、私の方が早かったみたい。
病室は前回と違って、ナース室の一番近く。
室内には何が起きてもいいように監視カメラ。そして、沢山の点滴と器械。
そんな病室に父が寝ていた。


状況から見て明らかに前回とはレベルが違う。ってのは分かった。
でも、前回を乗り越えてるからこそ、今回も大丈夫だろう。と。


何よりも父も意識があるから。


私が病室に着いて「潤子まだなの?」って言葉に対して、パパは「なんで潤子まで来るんや」と。

強気な気持ちはある。


母から詳しい状況を聞くと「お医者さんは3週間って」「大和に連絡する?」って答えに、明らかに前回とは違うけど、乗り越えてる!という思いと絶対3週間以上は持つし、安定するだろう。と根拠の無い自信とで、「大和には落ち着いてから連絡すれば?」と言った私。


妹(潤子)が到着し、初めてベットに沢山の点滴の管が付いた寝ている父を見てショックを受けたんでしょう。大和に連絡する件で、離れてる者同士分かる部分があるのか病院に入ったことだけ、とりあえず言うことに。


処置後の父の状態は血圧が低すぎて測れないとのことで、体温がまず低すぎる。

看護婦さんが体温を測ろうとしてもなかなか測れなくて、ただ見てるだけも辛いからマッサージをして、血行をよくしようと妹と二人でマッサージ。

それから体温も上がってきて、血圧もなんとか測れるように。

それでも、父はたまにうなされて痛みがひどいみたい。

点滴の中で少量だけど、モルヒネを入れてるみたいでした。

私はモルヒネだけはやめて欲しいと思ったけど、痛みに耐えようと苦しそうに寝てる父を見ているとなんとも言えない状況でした。

「若菜、腰痛いからマッサージして」と言われ、痛みが和らぐようにマッサージしたり、寝つきが良くなるようにマッサージしたり・・・・でも、「気持ち悪い」と言ってうなってました。


1回目の破裂の後、術後は絶対安静で寝返りもダメ。って言われてたのに、今回の父は痛みに耐えれないのか、安静にも関わらず身体を動かそうとする。


夜になって、少し落ち着いてきて大丈夫かな。となり、私も舞台が終わって直接病院に駆けつけたので、一旦帰って、今晩は妹に付き添ってもらうことに。


少し寝ようと思って、12時ごろ。

電話がなり、「出血した。病院に戻ってきて。」と。


急いで母と病院に戻るとベットは血だらけ。
大量に出血した模様。

妹も寝ていて、気づかなくてアラームか何かで看護婦さんが入ってきて気づいたとのこと。
妹はかなりショックを受けてました。


止血も終わり、とりあえず落ち着いたので妹だけじゃ可哀想なので私も残ることにし、母だけ帰宅。
病院で妹と交代で寝ることにしました。

それでも、私は舞台の疲労がありかなり寝てしまい・・・・・


4時頃、バタバタと看護婦さんが入ってきました。
様態がまた急変したよう。

私はなかなか起きることが出来ずに、重い身体を起こすと看護婦さんや先生が慌ててました。
何も出来ずにごめんなさい。

5時ごろ、近い人を呼んでください。ということで、母を起こし来てもらうことに。
おばぁちゃんたちはもうちょっと時間経って、朝になってからで・・・・


4時、5時ごろから起きてずーっと父の身体をさすり続け、私の中で朝を迎えれれば大丈夫だろう。とまたしても根拠のない自信。(だって、亡くなるのは朝方に多いって・・・・)


そして、6時、7時になった頃にお寺に連絡。
大和にもいつでも連絡が取れるようにしてもらい、とりあえず帰ってきてもらえるよう連絡。


7時頃~8時頃に親戚一同揃って、父を見守る。

私と妹はずーっとマッサージ。
朝方、様態が急変してからまた血圧が測れなくなり、ずーっと点滴したまま。輸血も。




8時を過ぎてから、少し落ち着いてきて目を離しても大丈夫だろう。と安心し、叔父たちが「何も食べてないだろうからパンかおにぎり買ってきてやる」と1階の売店に買いに行ってくれた時・・・


再び様態が急変しました。

今度は点滴の器械がピーとなり、心電図が急に跳ね上がりイッキに下がり・・・・

何がなんだかわけもわからず、私はずーっと心臓をさすり続けました。

看護婦さんも駆けつけ、お医者さんも。

買い物に行った叔父たちにすぐに戻ってきてもらうように電話して。

全員が揃ったときは皆、覚悟を決めてたんでしょうか。

母は取り乱して、ずーっと父の名前を呼んでいた。

私はまだ死んでない!!と思って、まだ大丈夫だ。と思って、ずーっと心臓をさすり続けてました。

心電図を見ながら。

でも、心電図が何も反応しなくなって・・・・
おばぁちゃんが「息してないわ」って言った瞬間・・・・・

ふと、パパの後ろにおじいちゃんの存在を感じました。
逝ってしまう。

お願い逝かないで。

あの瞬間は言葉では言い表せません。

あんなにも自分の思い通りにならない悔しさ、自分の無力さを感じた瞬間。
「無」になるという瞬間を感じたことはありません。


お医者さんが「もういいでしょう」

と言う言葉で、私の手が離れ・・・(離したくなかった。認めたくなかった。でも、離したのは諦めたから?)

8時52分 父の死を宣告されました。
















あれから一年。

今日は色んな人がお墓にお参りに来てくれたみたいで、お花がいっぱいありました。
自宅にもお花が届いて。ありがとうございます。



ぶっちゃけ、私はお墓にお参りに行くのが嫌です。
パパの骨が眠ってる。
まだ、認めたくない。
悔しい。



一年が過ぎるのは早いな。。。


去年の11月10日から私の一部は止まったよう。
それは弟の大和も同じ感覚みたいだね。
あの子なりに想い、感じ・・・離れてる分、一番辛い思いをされてるかもしれない。
大和魂



一部分は止まってるようでも、周りの環境は時間は勝手に動いてて、勝手に生きてるようで・・・・・

この一年、何があったかな。。。

って考えると一番大きいのは妹の存在。

パパが居なくなって、東京にいた妹が帰ってきて・・・・・

パパが居なくなった直後はママと二人だけ。と思ってた。
でも、周りの人々の支えもあり、妹が金沢に戻ってきてスポーツショップノブをやってくれることになり、三人暮らしに。
妹はパパそっくり。
まるでパパが居るみたい。(笑)

でも、パパはいない・・・・・


私は何も変わってないのに、勝手に一年経っちゃいました。
色々あったはずなのに、うすっぺらい一年。


乗り越えるまで、受け入れるまでまだまだ時間がかかるようです。
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# by wb-style | 2009-11-11 01:31 | 遺すこと

遺すこと6(進行2)

9月

どん底から這い上がりいい雰囲気になり、それでも『生きる』欲を失わず色んな道を探しました。

もちろん、セカンドオピニオン(主治医ではない先生に診て頂く)もしたのですが、専門の先生ではなかったようで、私達が調べた方が詳しかったような。。。。笑


と、いうのもマイクロ波のレンタル期間が1ヶ月ということで、次の手段を考えなければいけなかったのです。


10月

9月の上り調子からそのままマクロビオティックの食事をベースにマイクロ波丸山ワクチンプラセンタ、毎週の血液検査針治療と日々を過ごし、まず祖父の四十九日法要がありました。


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この時、髪短かったんだね。。。
そーいえば、思い切ってきったな。。。。。


そして、10月26日

53歳の誕生日

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後々のお医者さんからの話ではこの誕生日すら迎えることが出来なかったんじゃないか・・・・って。


マクロビオティックの真っ只中だったため、ケーキは母がマクロにのっとった特製ケーキ。
その他の食事もマクロちっくな食事だけど、それだけじゃ参加した親戚がつまらないから各自食べるものも。

過去記事



そして、今日、2009年10月26日55歳の誕生日。
妹・潤子がケーキ買ってきてくれてプチ誕生日会。
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癌宣告されて、2回誕生日を迎えることが出来たけど、1回目の53歳の誕生日はただたただHappyが嬉しかった。
黄疸、肝臓の数値が悪すぎて癌よりも『黄疸』『肝臓』の悪さが心配されていた中、危険な状態を乗り越えて良くなってきてるのが目に見えてわかり、その喜びを分かち合えたような誕生日でした。
それでも、写真を見ると顔色悪いよねぇ。



でも、54歳の誕生日の時よりもパワーがあるような気がするんだ。


それは今だから考えてしまうことなのか・・・・


なんでパパがいないんだろう。


最近よく考えてしまいます。


55歳のパパがいない。


私の中では居る予定だった。
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# by wb-style | 2009-10-26 23:35 | 遺すこと